「小学校の校長から退職後日本語教師をやったという話は、キャリアの講座でも時々使わせてもらっている」
と話したところ、知らなかった話を色々聞けました。
退職後(60過ぎて)、日本で勉強しただけでなく、中国の大連に留学して勉強した。
大連の中国語講座、は、日本人と韓国人と同数程度。ロシア人も勉強に来ていた(語学留学もしていたとは知らなかった)。
言語学など新しく学ぶことが多くて刺激的だった(国語教師のノウハウ利用ではなく、新しく学ぶことを喜んでいた)
3年間日本語教師として招待されて大連に行った(これは知っていた)。
単に日本語を教えるだけでなく、卒論の指導をしてほしいなど言われると、知っている日本語でどうこうではなく中国語も含め深く学ばないといけない。教えることは学ぶこととよく言ったもの。
おかげで中国語もそうとう使えるようになった。
60歳過ぎても学べるし、第二の人生をやったようなもの。
中国語を学び、教えに行き、睦子さん(私の母)の危篤で戻り、でもそのあとも中国語ができるようになったおかげで福岡市に中国の子が来たときには声がかかるようになり、睦子さん(母)の葬式で「ゆとりがないからやれません」という時(78歳ぐらい)でも、頼んできた。
最近は80過ぎたと知って声かけてこないけど、第二の人生もやりきった気がしている、と(知らなかった)。
ついでに、中国語をボランティアで教える人がいるけど、自分はボランティアには興味なく辞書代ぐらいはもらうことを意識していた。
中国に1週間行って、ボランティアで教えてきた、という話も聞くが、3年間教えた感覚で言うと、それで生徒は何を学んだのか?
(息子もボランティアではなくプロとしての支援を意識しているので同じだった)
(福岡には韓国からの生徒も来るので韓国語の勉強しているのは知っていたけど)ロシア語は使うレベルまでいかないと分かったけど、自分の刺激のためにやっている(80歳過ぎて刺激で中国語、韓国語に加えてロシア語までやるか???)とのこと。自分の刺激、だそうです。
役割のためでもなく、出世に為でもなく、自分のために学ぶ、って、吉田松陰みたいですね。
息子としても面白かったけど、一般論として、「60過ぎてもまだまだやれる」みたいです。
しかも新しいことを学び、それをプロとしてアウトプットするぐらいまでも。
うちの父親はまじめで不器用な人です。
そんな人でも、第二の人生結構やれるので、もう少し柔軟な人ならもっとやれるんじゃないかな?
モデリングの一例でした。
ま、私もまだまだやれそうです。
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先生がご実家でまったりとお父様とお過ごしななさったこと、大変嬉しく思いました。
気付いた時に親は無しを体感しておりました。
"私もまだまだやれそうです。”
やってください。私たち門下生は先生を(年齢が多くなっても)求め、目標にしたいからです。
田中先生⇒これからの日本and世界のCCの根幹です。
2015年、沢山の学びと自己研鑽にしたいと思います。(生きるために、ちょっと休憩そしてちょっとえびすで晩酌も)
先生、皆様、今年も宜しくお願いします。
投稿ありがとうございます。
目標が私とか申し訳ありませんが、まあ小さな一歩から進んでください。
休憩も忘れずに。
ありがとうございました。
2009年60歳定年再雇用の時、1年前社員教育検討で説明会参加したGCDFが頭に浮かびました。5月から8月通学、9月試験合格。2013年資格更新と技能検定2級取得(キャリアカウンセリング協会CCAアドバンス・エキスパートそして田中先生の講義)。この一年岩手県の地方都市ハローワークで相談員、これじゃないと感じ興味は地元の小中学生と、企業内におけるキャリアカウンセリングの提供する価値。停滞から行動へ年齢・環境を気にせず学んでいこうと思いました。ありがとうございます。
もう既に動いてらっしゃるのですね。
素晴らしい。
逆算すると65才でしょうか?
私も見習いたいものです。
投稿ありがとうございました。